世界のルーテル教会が何年も前から準備してきました宗教改革500年の10月が終わりました。ルターについても様々な学びがなされたことと思います。ルターは確かに信念の人であり、彼の問題提起によって宗教改革の口火が切られたことは確かです。けれどもその改革は、単に教会組織に留まらない、社会のありかた全体を見直していくようなリフォメーション=構造改革でした。当然、それはルターだけの功績ではなく、それを準備し、また担っていった無名の信徒や司祭、数多の宗教改革者や政治家たちによるものでもありました。なにより、ルターの説く福音のメッセージに生かされていった無名の人々の信仰こそが教会を改革し、変革された新しい社会を形作っていったのです。わたしたちはこの改革の伝統を受け継ぐものでありたいと思います。教会内でよどんでいること、福音が明確でないこと、誰かが置き去りであること、イエスさまがそのままにはなさらないであろうようなことに、わたしたちも改革者の伝統を担うものとして取り組み、何より自分自身の変革を担いたいと思います。それが、日々の教会の刷新につながり、社会の変革へとつながっていくからです。社会の構造が変わろうとしているという意味では現代もまたリフォメーションの時代です。イエスさまが望まれる社会と教会を形作っていくために、わたし自身を変革し続けるものとして歩みたいと願います。
まだクリスチャンでなかった18歳の私。大学の入学式でヨハネ福音書15章が読まれ「皆さんがこの大学を選んだのではない。この大学が皆さんを選んだのです。」との学長のメッセージに感激しました。主語が変わると、世界が変わって見えて来ることを知りました。
ルターが「毎日読みなさい」と勧めている詩編を読んでいると、神様と共に歩んだ人々の姿を垣間見ることができます。それは決して美しいものとは限らず、むしろ神さまと格闘している姿、不平、不満、思いのたけを神様にぶつけている生々しい姿が多く見られます。でも、とにかく神様にぶつけています。この世界を治められる御方、命の源、義なる御方。すべてをこの御方に向ける。その中で、「主よ、あなたは・・・」といつでも神さまが主語になって行くのでしょう。
牧師会などで、「私の宗教改革」というテーマが掲げられることがあって「なんだか難しいな」と思っていたのですが、私に言えることは「私の宗教改革は、主語が変わったこと」と改めて思います。世界を揺るがす宗教改革という出来事ですが、もとをただせば、ルターさんにおいても「主語が変わった」というところからすべてが始まったのではないかな、と思う私です。
ルターの「キリスト者の自由」を読んでいます。といっても教会の姉妹のたっての願いで、しぶしぶ読みはじめたというのが本音です。ところが、読み進めていくうちに、ぐんぐん引き寄せられ、今では毎週1回の読書会が待ち遠しい位です。学生時代レポートのために、あんなにいやいや読んでいたのに、教会の生きた場で読むとこれはすごい本だということがわかりました。改めて感動しているところです。
さて、読書会といっても、本を読んで好きなことを話し合うというやり方です。今のキリスト者は何を忘れているか。この教会に欠けているものは何か。私たちにできることは何か、と話題に事欠きません。
そのルターの言葉で衝撃を受けた言葉を一つ。「使徒はキリスト者に対し、目覚めよ、と言って、勧めている。なぜなら彼らは目覚めていないならキリスト者ではなく、神の道に立ち止まっていることは後退していることだからである。前進するとは、つまり絶えず新たに開始することである」という言葉です。
キリスト者に大切なのは過去ではなく、今どうするかだと言えます。昔はああだったこうだったということは、キリストの前からだんだん後退していることかもしれません。自分に出来ることを何かひとつでも絶えず新たに開始していきたいと思います。教会の宣教のために祈ることもまた、新たに自分が開始することなのです。
ルターの思想を紹介している本はたくさんありますが、その中で、パウル・ティリッヒが『生きる勇気』(平凡社)という著書の中でルターにふれている次の箇所が、僕は好きです。「(ルターの全著作の)なかにはくり返し、<にもかかわらず>(trotz)という語が出てくる。あらゆる否定的なもの―それを彼は経験したのだが―にもかかわらず、あらゆる不安―それによって彼の時代は支配されていたのだが―にもかかわらず、ルターは神に対するゆるぎない信頼から、そして神との人格的出会いから、自己肯定の勇気をとり出したのである」。
あらゆる否定的なもの・不安、にもかかわらず、自己肯定の勇気をとり出したルターの姿は、ローマの信徒への手紙(7章15−24節)で自らの惨めさを告白し、にもかかわらず、語り続けるパウロの姿と重なります。この箇所でパウロは、なすべき善は分かっているのにそれを実行できない自分を真摯に見つめた上で、「わたしはなんと惨めな人間なのでしょう」と告白します。しかし、<にもかかわらず>、パウロは自己肯定の勇気をとり出し「福音」を伝え続けたのです。
さて、私たちもそれぞれの人生において、恐れや不安、悲しみなど、私たちの歩みを立ち止まらせてしまう(自らが否定されているように思えてしまう)出来事にぶつかることがあります。しかし、パウロが、また宗教改革時のルターがそうであったように、<にもかかわらず>、いっぽを踏み出すための「ナニカ」が、私たち一人ひとりにも贈られているのです。
初めてルターの「小教理問答書」を読んだときのショックは今でも覚えています。私は1967年に日本キリスト教団の教会で洗礼を受けました。洗礼準備はルーテル教会のように小教理問答書を学ぶのではなく、牧師から言われたことは、聖書の通読と、聖書の学びに出席することでした。それらのことを通して、いろいろな質問を投げかけていました。日本福音ルーテル教会には1981年に転籍しました。その少し前に小教理問答書を読みました。ルターの宗教改革については、小学校時代から毎年宗教改革記念礼拝が行われていたので多少の知識はあったと思っていました。けれども例えば、主の祈りの第4の願い「私たちの日毎の食物を、きょうもお与えください」の日毎の食物とは「例えば、食物と飲み物、着物とはきもの、家と屋敷、畑と家畜、金と財産、信仰深い夫婦、信仰深い子ども、信仰深い召使、信仰深く信頼できる支配者、よい政府、よい気候、平和、健康、教育、名誉、またよい友だち、信頼できる隣人などです」と、幅広い受け止め方をしているところに、心底驚いたのです。小教理問答書は、ただ読んだだけでは分かりません。問答は教育の原点です。だから一人では無理なのです。
神学大学、神学校(私が在籍していた当時は、ルーテル神学大学という名前でした)での学びを通して、ルターに魅せられた人たちの気持ちが少しわかったような思いがしました。
先日、竹田大地牧師から依頼があり、JELC厚狭教会の庭にピザ窯を作りました。教会の方が作られた土台の上に、初心者2人でレンガを積み、耐火コンクリートを塗り、何とかそれらしい形に仕上がりました。
少し経ってから、久しぶりに来日し、厚狭教会を訪ねられた元宣教師が、「そのピザ窯で焼いたピザを分かち合い、教会員との旧交を深めることができたことは素晴らしかった」と言われていたことを聞きました。作っている最中には、どのように用いられるかなど考えていませんでしたが、今、ピザ窯は兄弟姉妹の交わりを深めるために役立っているのです。
ルターは、宗教改革運動を目指して行動を起こしたわけではありませんでしたが、その実りとして福音主義教会は誕生しました。そして、続く者が福音のために、教会の改革を行っていくことに期待しつつ、「隅の親石」となる覚悟で、その一歩一歩を踏みしめたに違いありません。
しかし、後に、福音主義教会が「ルーテル教会」と呼ばれるとは想像もしなかったことでしょう。
今、私たちは、ルターの福音の再発見によって始まったルーテル教会に集っています。そして将来、この日本へ福音がどのように根づき、枝葉をつけ、実っていくのでしょうか。後の世代の人たちへと、その収穫を託したいのです。
うちの小〇〇問答
息を切らして中学生の息子が帰るやいなや「ただいまー!お父さん、ルターって知ってる?」思わず面食らって返答に窮したが、どうやら授業で「宗教改革」を習った、とのことでやり取りが始まる…当時の教会が贖宥状(免罪符)を売った背景はいわゆる大航海時代が始まり交易が盛んになった時。ヨーロッパはペストという病が大流行し3人に1人は亡くなったといわれる。人々は死後すぐに天国に行けるように、と願い献金した。それに目を付けた教会は新しいお札売りを発案。献金箱の中で金貨がチャリンと音を立てると魂は天国に上げられる、などと歌やメッセージで宣伝。その札はすでに亡くなった愛する家族にも効果アリという。目的は大聖堂建築などのためとは言わない。そこへ、聖書を深く学んだルターは厳しく反対し、B4サイズほどの紙にまとめた95カ条のテーゼで悔い改めを迫る。印刷所がどんどん発行して2週間ほどでヨーロッパ全体に広まったとか。さらに信仰のことについて「これなあに?」という子どもと父親の会話形式で『小教理問答』を作成。
これらはただの昔話でなく、今でもある集まりの中で、恐怖心にさいなまれ、視野は狭くなり、お金が絡み、思考停止状態に…。と、ここまできて息子は、まるで「カルト」のようだと気づいた様子。いつの時代も人は誰しも気を付けないと。そう、スマホやタブレットで、友だちに紹介、拡散させてもいいよ。
ルターは聖書の言葉と向き合い、福音=喜びの使信を発見しました。それは、一人の人間が、罪の現実(=人間の現実)にありながらも、神の赦しと愛に生かされていることを発見した、信仰的な喜びだったといえるでしょう。
よく知られているように、彼は修道士だった頃、神の前に正しくあろうと願い、他の誰よりも自らを律し、戒律を守ることに努めた人です。けれども、救いを求めてあがくほど、かえって自分の罪深さを突きつけられ、救いの実感を得るどころか、ますます彼の中で、滅びの不安は増幅していったのです。
彼はこうした絶望の中で聖書と向き合い、自らすでにキリストの十字架を通して贖われ、救いに導かれることを発見し、それを信仰によって受け止めたのです。その時、ルターは大きな安心と喜びを得、宗教改革へと突き進むことになりました。
ルターのみならず、いつの時代の人間も、どんなに努力して生きても、多かれ少なかれ未来への不安や失望はつきものなのかもしれません。けれども、十字架のキリストの前にあっては、どんな歩みであれ、神に捉えられ、救いへと導かれる「神、共にある」歩みなのです。聖書の語る福音の光の中に、わたしたちは今日生きていることを、信仰によって受け止めたいものです。
「ルターの顔」
絵画とエッチングで残されてきたルターの顔を見ると、そこにはルターの内面の成熟プロセスが如実に反映されていると気付く。バナーに映された晩年のものと、若い隠修道士時代のそれとは別人の感さえある。ルターは「信仰」から神学を始める。その信仰とは、わたしの信仰であるので、「わたし(自己・エゴ)」から出発する。神の前に立てる“わたし”とはどのような自分か、その問いを持って、修道院で内省する苦悩をする若いルターの顔。そこには苦悩の色しかなく、生きることの喜びはどこにも感じられない。
神の前にふさわしい者となって、神の前に立とう。その方向での神学研鑽は、「わたし」を苦悩へと追い込むばかりであった。しかし、このような「わたし」をすべて神に委ねよう、という神学の方向を見出したとき、ルターはバナーに見るルターの顔へと変貌していく。そこにはルターの聖書の読み方の、逆転的変化がある。「わたしたちに(イエス・キリストを通して)与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからです。」神の前に立てる準備は、聖霊によって神の愛が「わたし」に注がれているということへの気付き“のみ”。
500年祭とは、さらなる聖書の読み込み運動の提起の時だろう。
ルーテル教会でよく使われるデザインに、「ルターの紋章」があります。「ルターの薔薇」と呼ばれる、ルター自身が用いた紋章です。花柄に、ハート型に、十字架、アクセサリーにもなりそうなモチーフが組み合わさっていますが、ルターは「可愛い!」と思ってデザインしたわけではありません。
中央の十字架は、イエス・キリストの受難を表しています。だからこそ、着彩される時には黒で描かれます。そして、その下のハートは、私達キリスト者の心臓です。復活の主のもとで真の命を得る私達自身の姿がそこにあります。周囲を取り囲む白い薔薇は神様から与えられる喜び・平安を、周囲の空色は天の喜びを示し、それを取り囲む金色はとこしえなる神様の栄光を表現しています。すなわちルターは、この紋章一つで、キリストの十字架の出来事によって与えられる私達の救いを表現しているのです。
ところで、色々なところで使われているこのルターの紋章ですが、大きく2種類あるのはご存知でしょうか。例えば教会手帳に記された紋章は上側に花びらが2枚。一方、九州教区でよく用いられる紋章は、上側が1枚。よく見ると花びらの向きが逆です。これは、どちらも間違いではありません。頂点に1枚くるのはルター自身が手紙等で用いた紋章に由来し、逆になったものはヴィッテンベルクのルターの自宅、ルターハウスに刻まれた紋章に由来しています。
ルターが自分自身を表すのに用いたデザインは、キリストの福音を指し示すものでした。私達もこの紋章を目にする時、用いる時、いつも新たに主の福音を心に刻んでゆきたいものです。
「あの出来事は今も変わらない」
私たち日本人キリスト者にとっても、教会生活以外、日常生活において「宗教改革」と言っても、日本の歴史の中で起こったことでもありませんから、身近に感じることは少ないかもしれません。しかも、それが500年前のことであり、遠くヨーロッパ・ドイツで起こったことですからなおさらです。加えて、キリスト者以外の人ならそれ以上です。
神さまに忠実であろうとした一人の僧が、神さまの求めや願いに応えようとすればするほど神さまから遠ざかってしまい、その神さまを身近に感じられなくなっていきました。例えば、バスに乗った時、お年寄りに席を譲ることは知っていても、内にささやく声が、「なぜそんなことをするのか」とか、「かっこつけてる」とかが耳に響く事さえあります。善をなそうとすればするほど、その善から離れて、物事を冷めた目で見ることになることがあります。(ローマ7:7以下)善をなせば裁きを感ずる心が起こるのはなぜか。この僧は悩みます。神さまは近いはずなのに遠いと。そして、すでに書き記されていた聖書の言葉を裏付けとして、神さまを再確認したのです。当時の社会も見えてきましたが、それに縛られる自分が見えてきたのです。そして、十字架にすべての罪と愛が示されていると確認し、やはり、「神さまは愛の神」だと分かったのです。
日常生活の中で悩み苦しみも、人を羨み、自分を十分愛せない心を持って生きる私たちです。イエスのいた2000年前も、ルターの生きた500年前も、現代の今も、日本人も、ユダヤ人も、ドイツ人も、少しも変わりません。私たちが神さまから愛されている「こころの改革」は、今日も起こっています。私たちも、キリストを通して神に感謝し、変わらざる恵みのうちに生きたいと思います。
「宗教改革 三大文書の意義」
教会讃美歌34番「われ今まぶねのかたえに立ち」は、やや重めの曲調のせいか、クリスマス本番の礼拝で歌われることが少ないのが、少し残念です。プロイセンのルター派の牧師P・ゲルハルトの詞にJ.S.バッハが旋律をつけたこの賛美歌は、ナチス・ドイツに対する抵抗運動のかどで投獄され、処刑された同じくルター派(古プロイセン合同福音主義教会、のち告白教会)の牧師D・ボンヘッファーを、その獄中で深く慰めたといいます。
今でこそ英雄視されることも多いボンヘッファーですが(ただし本人はそれに激しく反発するでしょうが)、ナチス思想に反対する彼は、当時は極めて少数派であり、白眼視されました。ルター派教会は、積極的にしろ消極的にしろ、多くがナチスを支持する側に回りました。
今の時代、わたしたちもこの世界の中で、どこに立つかを問われているように思います。私たちは今、キリストの飼い葉おけをどこに見出しているでしょうか。キリストはこの世の中で、今どこに立っておられるのでしょうか。 いよいよ宗教改革500年の年に入ります。ルターを神のように崇めるのではなく、しかしルターが当時の教会世界に問うたように「私たちは今イエスの福音を生きているか」…それを絶えず問い直す。それが宗教改革の教会の、あるべき姿なのではないでしょうか。
「宗教改革 三大文書の意義」
『95か条の提題』の掲示をもって、直ちに宗教改革運動が始まったと考えるのは、厳密には正確ではないと思います。大勢としては、宗教改革の三大文書の発表とともに、ルターの改革運動が始まったと考えます。ルターは『ドイツのキリスト者貴族に与える書』でローマ教皇から世俗的な権力と莫大な富を奪い取る必要性を強調しました。そしてドイツ国民がローマ教会の政治的・経済的圧迫からのがれるために奮起するように訴えました。その主張は、ルターを宗教改革の指導者にかりたてました。しかし、ローマ教会との対決を決定的にしたのは『教会のバビロン捕囚』でした。なぜなら、この書はローマ教会の根本的教理である秘跡を問題とし、その数を七つから二つ(洗礼と聖餐)に減らし、しかもその二つの秘跡にも徹底的な変更を加えているからです。このように、ルターはローマ教会を攻撃しながら、「真のキリスト者とは何か」と考えました。それを示すのが『キリスト者の自由』です。ルターはこの書で、「キリスト者は信仰によって自由であり、愛においてすべてのものの僕である」と宣言しています。そして、キリスト教の本質は神の言葉を信じ、キリストの生き方に従って生きることだと述べています。宗教改革の三大文書は、ローマ教会との対決を公然と表明し、信仰のみを主張する福音主義の立場を明確にしました。
宗教改革500周年を受けて、現代に生きる私たちにとって500年前の宗教改革はどんな意味をもっているのかということを改めて考えます。
そこで、改めてM.ルターの姿を見てみますと、M.ルターが10月31日にとりました行動は、とりわけ過激なものではなく、当時の公開討論の際の方法に従ったものでしたし、彼が掲げた95か条の提題は、「キリスト者の生涯は悔い改めの生涯ではないのか」、「私たちは皆、神の救いの恵みを必要とする罪人(つみびと)ではないのか」というものでした。当時の歴史的流れの中で、ドイツでは、「原点に返ろう」ということで、聖書の原典であるヘブライ語聖書(旧約)とギリシャ語聖書(新約)の翻訳と研究が進められ、ルターも、真摯に聖書と向き合い、そこから問題を提起したのです。
ですから、ルターの行動は、ひとりの聖書学者として極めて普通の、当時の方法に従ったものでしたが、その根底にあったものは、どこまでも、どこまでも、聖書と真摯に向き合い、罪人である人間を救われる神の恵みを、もう一度生き生きと発見していこうというものでした。私たちが現代の中で宗教改革を記念する意味もそこにあるだろうと思います。
「罪人にして同時に義人」
人は誰しもが最初からしかも自ら特定の教派の教会を選んで教会生活を始めるというのは稀ではないだろうか。私もそうである。気づいていたらルーテル教会に出会い、そこで教会生活を始め、今なおそこに身を置いて過ごしているのである。それにしても人生の大半をルーテル教会に身を置いているのに自ら驚くものである。そこには理由があり、中身としてルターの「信仰義認」という福音理解に引き付けられてきたからである。しかも首標の「罪人にして同時に義人」(ローマ書1:17)という信仰に基づく人間 理解に共感を覚えたからである。
ルターがあの中世の時代、エラスムスをはじめとする人文主義者たちの人間理解の一面性を打破し、人間の二面性あるいは総合的人間理解をローマ書やガラテヤ書を通して発見に至ったことは後世への大きな遺産となってきたのではないだろうか。物事の持っている二面性、つまり光と影の両面性を捉える視点は極めて重要である。ルターが一人の人間として神の前に立った時、「罪人にして同時に義人」という二つの面を捉え、しかも「同時に」という「即時性」を発見した真理の奥義は実に大きい。この「同時に」は、まさに神の聖霊の力によってしか得られない信仰のダイナミズムが語られ、人間が新しい人として聖化される道筋が表現されていると思うのである。
ルターの内面的かつ信仰から見出された福音理解は、時代を超えて現代に生きる私たちの深い人間理解にも示唆を与え続けるメッセ―ジとなっていると確信するもので ある。
x今年の梅雨のある日、雷がすごい夜でした。大きな雷鳴と共に繰り返し閃く夜空を私はマンションのベランダから眺めていました。軽くショーを見るような感覚だったかもしれません。いくら雷が猛り狂っても建物の中にいる自分は安全、どこかに避雷針があるはずと安心していました。外で雷に遭う人は大変だろうな、昔の人は怖かっただろうなと色んな考えが頭を過る中、ついにルターのことを思い出します。
今から510年くらい前、ルターはまさに雷による運命的な体験の中で、自分の人生を引っ繰り返す選択をします。当時法学を学んでいたルターが帰省を終え大学に戻る途中、野原で雷に遭い、「聖アンナ様、お助けください。私は修道士になります!」と誓ったのは有名な話です。雷に怯えるルターでなかったなら彼が修道院に入ることもなく、それがないなら修道院でのルターの信仰的な葛藤と、それによる新しい発見も宗教改革もないはずです。一つの出来事に対する素直すぎるくらいの反応、それが出発でした。そしてそれは神への純粋な心の表れに他なりません。
素直に神を畏れ敬う心、信仰の本質です。なんとなく科学の恩恵を受け、人間が全てだと思う風潮の中では、育ちにくい心かもしれません。神への素直な心、信仰の出発です!
ルーテル教会の牧師はよくルターの言葉を引用します。それを「ルター教」と思う方もいるかもしれません。特に宗教改革500年記念を盛り上げている今の時期は尚更でしょう。
それにしても、私はルターの「信仰義認」の再発見を感謝します。私はルターの神学を勉強したおかげで、信仰によって神に義とされることを深く認識できたからです。
私は元々中国の敬虔なクリスチャン家庭で育ったのです。「信仰義認」はよく分かりますが、それと同時に、「聖化」も重視されています。自分が聖化されたかに確信がなかったため、結局本当に神様に救われたのかが疑わしくなりました。それは重荷となり、青年期の私はほっとすることができなくなりました。
確かに、「義認」と「聖化」は主従関係にあるでしょう。問題はどっちが「主」であるかなのです。「聖化」を主とすると、「義認」にある福音は失ってしまいます。逆に、「義認」を主とすれば、神様との新しい関係に基づき、神様の導きによって、「聖化」も自ずとできるのです。
ただ条件が一つあります。それはイエス様を信じることです。ここで言う「信じる」はイエス様が教えた「私は門である」と例えた入り口を想うと分かりやすいです。その門を通って入ると、神の家族になり、神の子どもになるのです。そして、神様も自分の子どもを「よし」と認めるのです。それは人の親が自分の子を受け入れ、愛おしく思う、そんなあたたかさです。それこそは、私がルター神学の勉強を通して理解した「義認論」です。
「この宗教改革500年の記念を機に、救われた確信を持ちつつ、『信仰義認論』から生まれた喜びを多くの人と分かち合いたい。」これこそは、今の私の心境です。
ルターが宗教改革で行ったことは、礼拝の改革でもあったといわれます。そして、その改革の一つは、礼拝の中で説教と聖餐を適切に位置づけ直す取り組みでした。宗教改革500年を前にして、私たちルーテル教会は、礼拝に対してどのような改革の課題を抱えているでしょうか。そのことの一つに聖餐の実践があげられると思います。クリスチャンが少ない日本にあって、主日礼拝における聖餐の実践には配慮されてきた歴史があると思いますが、今一度礼拝における聖餐の位置づけについて考えたいのです。プロテスタント教会は、礼拝という点において、説教を重視し、理性に訴えかける歩みを続けてきましたし、今もそうかもしれません。しかし、近年、世界的に礼拝において注目をされてきたことは、礼拝が体験であるということです。それは、頭だけでなく、体を通して神の恵みを体験することです。教会は、誕生以来その手段として聖餐を毎週行ってきました。受肉したキリストが、今、みことばを通してパンとぶどう酒においておられることを深く味わっていたのです。日本という難しさを抱えながら、教会が神の恵みを礼拝において、その恵みを必要としている人々にどのように分かち合えるのか、共に考えていきたいのです。
真摯な人
ルターによる宗教改革運動の神学的中核をなすのは、「信仰による義」の再発見である。その再発見は、『95か条の提題』が発表された1517年よりも数年前のことだった。1505年に21歳でエルフルトのアウグスティヌス隠修修道会戒律厳守派の修道院に入って以来、死の意識を強く持っていたルターは、いかにして神に義と認められその救いにあずかるかに悪戦苦闘していた。だが、いかに努力しても自分は神の御前に罪人でしかないことに絶望的な状況に追い込まれていく。1512年、彼は神学博士となり、翌13年からヴィッテンベルク大学で詩編の講義を始めた。30歳になろうかという年齢である。修道院の定時祈祷では詩編が朗読されるため、ルターにとり詩編は最も馴染み深いものだったかもしれない。しかし、大抵の人がそうであるように、聖書の言葉は読み流されてしまうことが多い。だが、特定の時や状況下で聖書のある言葉が望外に強く語りかけてくることがある。聖書の言葉が生き生きと伝わって来るのだ。ルターがそんな経験をしたのかどうかは分からない。ただ、詩編講義の間に「信仰による義」の再発見があったといわれている。詩編31編1節「あなたの義をもってわたしをお助け下さい」(口語訳)。このとき、彼は学生たちにこの言葉をうまく説明できなかった。自分が義とされることに熱心であった彼は、神の義をもって助けられるということに戸惑いを覚えたのであろう。しかし、後日、71編2節「あなたの義をもってわたしを助け、わたしを救い出してください」(口語訳)の講義では正く説明できたという。この間にローマ書やガラテヤ書、ハバクク書に「信仰による義」の再発見をしたのであり、罪の死の呪縛から解放された。そしてこれを真摯に生涯貫いた。50歳を前にして2回目のガラテヤ書講義をしているが、「信仰は私の中でキリストが働かれることだ。それは私の中で始まったばかりだ」(『ガラテヤ大講解』)と述べている。信仰歴何年であろうと神の御前に滅私的謙虚さを失わずにいたい。ルターは再発見をしたのが塔の部屋であったと言っている。おそらく階段塔の踊り場のような場所だったろう。現在のルターの館ではこの階段塔は失われているが、そこに至る出口であろう箇所を見ることができる。2018年、ドイツ・ルター・ツアーを計画している。ご一緒に見てみませんか。
人を判断する、評価すると言うことは、難しい。一人一人が、長所もあれば、短所もあるからだ。それが歴史的人物でも同じことだ。ルターも例外ではない。宗教改革者ルターは、確かにあの時代の「時代精神」を表すのかもしれない。それにしてもやはりルターも手放しでは、「良く」評価できない。なぜなら彼の農民戦争やトルコ人に対する発言は、農民戦争の「過激化」やトルコ帝国の軍事的脅威といった時代状況もあるにせよ、好きになれないし、行き過ぎだと思う。特に晩年に書かれたユダヤ人に関する文書は、内容的に問題が多すぎる。当時の思想的・宗教的背景(宗教的ユダヤ人憎悪という考え方)を考えたとしても、またルターの期待(ユダヤ人たちのキリスト教への改宗)と絶望(その可能性が全くないこと)を勘案したとしても、やっぱり許容できないと言わねばならない。それが、「アウシュヴィッツ以降」の教会の信仰の姿勢だと思うのだが、どうだろうか。ルター自身の思想的限界。それを認めた上で、私たちは、ルターを「公平」に、そして「批判的」に読み、考察し、評価していかなければと今更ながら思う。
「我々にできるのは、ある人の『思想』を継承することではなく、『姿勢』を継承することだ」とは、ある聖書学者の言葉であるが、私たちが何をルターの遺産として受け取り、どんな「姿勢」を受け継いでいるのかを、批判的に検討しながら、来年の宗教改革500年を迎えたいと思う。
ルターは自らの救いを求め続けたが、その実感が得られなかった。彼は悩む中、主を信じて救われる「信仰義認」の突破口を見つけた。主は一点突破できるよう彼の背中を押され、大きなうねりが広がった。その宗教改革は主が共にいてくださらなければ、起こらない出来事でした。
ルターは1517年に95カ条の提題を掲げて、贖宥状について公開質問状を出した。その中心は人々の魂の救いであり、彼の神学研究はその手段となった。多くの人々が賛同し、彼はローマ側から吹く嵐の中に身を置いた。ローマ教皇から破門をされ命の危機にあった時、ザクセン選帝侯が彼をワルトブルク城に匿った。そこで聖書のドイツ語訳を執筆し、人々が自分達の言葉で聖書を読めるようになった。それにはグーテンベルク印刷機の発明が、欠かせなかった。
百年前にチェコにヤン・フスという宗教改革のパイオニアがいた。彼は異端とされ火あぶりの刑に処せられた。ルターも同様にされても、おかしくない状況だった。ウォルムス国会での弁明で、彼は「私の良心は神の御言葉にとらえられています」と宣言をして、自らの立ち位置を明らかにした。その生涯から、コヘレトの言葉「何事にも時があり、天の下の出来事には全て定められた時がある」を想い起している。
昔々の話になりますが、ある信徒さんがこういうことを言いました。「ルーテル教会の人でなければクリスチャンとは言えません」。その時私は高校生でしたが、心の中で猛反発しました。けれども、彼は人間的に立派な人だったので、私も喧嘩腰にはなれませんでした。でも彼の言葉は、「ルーテル教会とは何か?」を私に考えさせるきっかけになった気がしています。さて、私はその後神学校に入学し、信条学という授業を受けました。ルーテル教会の信仰内容を学ぶ授業ですが、アウグスブルク信仰告白という信条がルーテル教会の考えを最もよく言い表していることを知りました。ところで、その信条の第7条にはこんなことが書かれていました。「キリスト教会の真の一致のためには、福音が説教され、聖礼典(洗礼と聖餐)が与えられるということだけで十分である」。ところで授業をした先生は、その7条で鍵となっているのは「ということだけで十分である」という言葉だと、意味不明なことを言いました。なお、教会の真の一致とは平たく言うと他教派との合同のことですが、合同はとても簡単、なぜなら説教と聖礼典以外は全て度外視してかまわないからだ……そういう意味なのだよと言いながら、先生は最後にこう言いました。「このようにルーテル教会は、他教派に対していつも開かれた態度なのです」と。
いま、牧会、牧会者の改革を
ヨーロッパ宗教史上幅広い「改革」をルターはもたらしました。その中から21世紀に何を学ぶことが出来るのか? 私は「牧会の改革」こそが、実践的に意味あることとして、多くを学びたいのです。なぜか?
「95か条」は、神学論争のためのコップの中の嵐ではありません。悩める魂への慰めがどこからくるのか、牧会的関心からの問いかけです。死に怯える魂への救いはいずこにありや。医療未発達の時代、疫病の流行があり戦乱がある、ルター自身も死の危機を体験、子どもを二人まで失っています。死と死後がリアルな恐怖として人々の魂を、また自らを悩ませます。対して、教会監督がカギを握り、オフダを買えば、安心できると教える。これは断じて真理ではない、これがルターの論点です。至って単純明快。つまり、魂の平安を約束するのは神の憐れみを告げる み言葉のみ、それに縋る信仰のみ。この教理は、敢えて言えば、日本では鎌倉仏教において既に解決済みの問題と言えます。では、異なる状況のただ中に生きる21世紀の人々、私の魂の飢え渇く求めは何で、その救いはいずこに?隣人に寄り添って共に生きる中で、答えを福音の中で指し示すことが出来れば、ルターから学びつつ生きる21世紀の教会、牧会者となれるのでしょう。
今年6月に「ルターの足跡を訪ねる旅」に参加した。その時、どうしても立ちたい場所があった。それはアウグスティヌス修道院にある。
ルターの時代、エルフルト市内には14の修道院があった。その中でルターは一番厳格な修道院を選んだ。雷に打たれ「修道士になります」と宣言したルターは、「祈り、かつ働け」のモットー托鉢修道会に入会した。このアウグスティヌス修道院でルターは徹底的に聖書を読んだ。詩編を毎日何回も読んだ。朝3時に起き詩編を読み祈り、食事は2回、托鉢しながら徹底的に詩編を読んだ。ルターの小さな部屋が遺されており、修道士ルターの生活がよくわかる展示があった。
ここで見たかったのは礼拝堂の聖壇。修道士として生活しながらルターには内的な葛藤があった。毎日何度も懺悔をしても罪が赦されたという実感がない。その生活の中でルターは叙階をうけて司祭となる。初めてのミサのとき、聖壇に立つルターは失神してしまう。「小さな罪人にすぎない私が神に向かって呼びかけている」とミサを中断してしまう。父ハンスも息子の晴れ姿を見ようとそこに出席していた。またもや期待はずれなルターの姿を見て父はどう思ったのだろう。その聖壇がある。
純粋にみ言葉と向き合う信仰者としてのルターに出会う格好の場所だ。その聖壇にちょっと触れてみた。自分には何も起こらなかった。「ああもっと自分も聖書を読まなきゃ罪がわからないのか」。徹底的に詩編を読んだルターは、その後詩編の中に神の義の発見をする。
この原稿、日本人研究者のノーベル賞受賞について、テレビや新聞が、連日大騒ぎしているときに書いています。このニュースは、大変喜ばしいことであり、また、受賞された方々には心からの敬意を表します。ただ、マスコミ各社の報道には、正直うんざりしてしまいます。というのも、ノーベル賞を受賞された研究内容よりも、受賞者が同じ日本人であることが誇らしい、つまり、「日本人は偉い」的スタンスでなされる報道が多いからです。コラムニストの小田嶋隆氏は、そんな報道の騒ぎっぷりに、「あんまりはしゃぐとみっともないぞ」と警鐘を鳴らした後、自身の高校時代の物理教師の言葉を紹介しています。「学問は個人や国家のものではなくて、人類に属するものだ。学問の世界の出来事について、大学の名前や、国籍や、研究所の名前にこだわるのは恥ずかしいことだ」(日経ビジネス「小田嶋隆のア・ピース・オブ・警句」)。
ところで、この「九州教区マンスリーリレーメッセージ」という取り組みは、宗教改革500年を盛り上げていくためのものです。 しかし、その盛り上がりが、ルターと同じルター派にいることは誇らしい、というような「ルター派は偉い」的スタンスでなされるものではなく、ルターの発見や業績が「人類に属するもの」であったことを心に留め(学び)盛り上がる、というものでありたいと思うのです。いかがでしょうか。
信仰は人類に属するもの、なのですから。
ルーテル教会の会員でいて少し淋しいと思うことは、世の多くの方々が、ルーテルがルターのことだとご存知ないことです。「ルーテル教会ってキリスト教の教会なんですね」などと言われてしまうとがっかりです。そこで宗教改革500年を期に、世の人たちにルーテルとはルターのことであると知ってもらいたい。そのためにはこの際、ルーテル教会からルター派教会へと看板を掛け替えては? という意見すら、真剣に検討されたのでした。
とはいえ、教会内でもまだ500年に向けた盛り上がりが見られるわけではありません。そこで九州教区では、まず教会のみなさんに覚えてもらうために、宗教改革500年のポスターを作ることにしたのでした。けれども調べてみると、どうも古くからあるルターの肖像画というのは難しそうな顔をしたルターばかりです。わたしたちとしては、みんなが元気になるような500年の事業を行っていきたい。というわけで、デザイナーさんに協力していただいて、このようなかわいい「ルターくん」に誕生してもらったのです。九州では、これから2年間、このルターくんと共に、愉しく宗教改革500年に向けた取り組みをすすめていきたいと願っています。
ルーテル教会で洗礼、堅信をお受けになった皆さんは、『小教理問答書』を学ばれたことと思います。
30年以上前、わたしが洗礼準備会に臨んだ時、牧師から 渡された『小教理問答書』は定価50円と書いてあるものでした。
その後、自分自身が牧師になって求道者の方々と一緒に学ぶごとにそれを開いて、「学びなおして」来ました。ボロボ口になりすぎたので、ついに数年前、買いました。定価400円です。
牧師は少なくとも洗礼志願者の数だけ、『小教理問答書』 を読みますが、信徒の皆さんも『小教理問答書』は手元に置いて、何度でも「学びなおして」いただくのは良いこと だと思います。
原点に立ち返ることできますから、色々な意味で。